私事になり恐縮だが、自分も千代田区の麹町中の分校として開校された中学へ、当時、教育ママだった母親が、千葉県市川市から越境入学させたのである。この中学からも近くの日比谷高校へ入学すれば、東大入学への射程距離に入るとあってクラスの半分以上がおそらく日比谷を目指していた。
私のような‘落ちこぼれ‘はこの名門中学のエスカレーターに乗れず、私立高校を選んでしまい、両親にも経済的に負担をかけた負い目がある。そう、今日と違い、まだ社会全体が貧しい時代だから、東京の人は都立高校へ行くのが、親孝行で、そのトップを走っていたのが日比谷だった。
東京オリンピックの頃からは、世の中も少しずつ豊かになり、東大を目指すコースも私立高校からのアプローチも増えてきた。都内では麻布・開成などが新エスカレーターコースになり、地方ではたとえば兵庫県の灘高が、日比谷と東大合格者数を競うようになってきたのもこの時代だ。
そして、日比谷高校がエスカレーターコースのトップ高だなんて、伝説になってしまった直接の要因は、例の「学校群制度」であることは間違いないだろう。そして、偏差値という概念が今日の高校格付けに重みを添えて格好だ。
同じ学校群でなくても隣接のグループ高も受験できるし、私立校も親が行かせることができるようになった今、日比谷高校も単なる1都市の公立高校に過ぎなくなってしまった。
まして、都会の空洞化現象で都心の学校そのものが生徒不足で経営が成り立たなくなりつつある今、ますます都立高校は中身の変革を迫られている感じがする。
「日比谷→東大→官僚というエリートコースだけが、人生ではない」こんな考え方がだんだん21世紀の若い人達によって、着実に根を下ろし始めたような気もする。
「頭がいい」「知能指数が高い」「一流校を出た」「偏差値が高い」ということが、人間の幸福というものとどういう関係があるのか?こんな疑問符が今、社会全体に投げかけられているように思う。
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